先日、お友達(既婚女性)からラインが来た。
その内容は、URLのシェアで某カフェの使用済み紙コップのリサイクルに関する内容だった。
あとでじっくり読もうと思っていたら、そのお友達のパートナーが「こんなのお友達に送ってはいけない」と注意したため、送信取り消しをしてしまったようで、結局ちゃんと読めないまま、彼女から謎の謝罪を受け終了してしまった。
なぜパートナーが彼女に注意したのか私には分からない。個人個人がもつ環境への意思表示をやめさせるなんてことは、パートナーとして恥ずかしい行為だと思わないのだろうか?その記事が明らかにおかしいものであれば止めるべきだが、きちんとした記事だとパートナーも認めたとのことで、なのに送信取消しをすすめる必要があったのだろうか?
一個人が意思表示をすることを恥ずかしいことだと思う文化を意識してやめていきたい。SDGsについて学んでいると、何が正解で不正解かなんて一概に言えない。それでも私たちは選択を迫られることは多々ある。迷っている間にどんどんと新しい情報が押し寄せる。正しい情報を自分に取り込み判断し、そして意思表示をすることは、これからの社会ではとても大切なことだと思う。これは企業で言うガバナンスの部分に近いと思う。今、企業はガバナンスで市場価値が判断されている(ガバナンスだけではないけれど。ESG投資のGがガバナンス)。個人も同じようにガバナンスを強化していく必要があると思っている。(ガバナンス=法令に従うだけでなく、社会や道徳に従うために支配する、統治するという意味がある)
そしてこういうところでも、妻は夫の支配下にあるのでは?とジェンダー について考えざるを得ないのだが、今回はジェンダーの話ではない。その友人が送ってくれた紙カップはエコなのか?という内容に繋がる記事をご紹介したい。
さまざまな飲食店で紙カップは使われる。
しかし、飲み残しが異臭やカビの原因となるため、ほとんどが可燃ゴミの扱いとされているのが現状である。
プラスチックのカップよりはエコなのだろうが、紙カップもさらに環境に配慮して使われるべきだという声もある。

ということで、日本製紙のグループ会社(株)日本デキシーは今年の秋から紙カップを段ボールの原紙に加工する装置を開発し、販売を始める。
そのうち、ショッピングセンターのフードコートやカフェでは燃えるゴミに紙カップを入れず、専用リサイクル装置に入れる日が来るかもしれない。環境負荷の心配を減らしながら紙カップで飲める日が来るだろう。
明日、この記事を友人に送ってみることにする。
きっと環境問題に向き合っている彼女にもいいニュースできっと喜ぶと思う。
投稿者 なるかわ